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Channel: 愛しきものたち
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旧都祁村 来迎寺の石塔

暫く振りの石仏石造美術の紹介です。 奈良市都祁来迎寺に残された五輪塔と宝塔です。 大和高原、奈良県旧都祁村は我が近くに有って、事あるごとに想い出したように足の向ける土地。 根からの田舎人はやっぱり田舎の匂いの中、田舎の時間の中でしか、自分の居場所を見つける事が出来ないのかも・・・・。...

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奈良市柳生阪原  多尊磨崖仏

   もう7〜8年前にも紹介した事のある柳生阪原の多尊磨崖仏。 7〜8年経ってもこの柳生辺りは何一つ変わらないけ、どブラ〜と出かけた序でに寄ってみた。 奈良市街方面から国道369号線で一走り、阪原の中央を横切る白砂川右岸縁にこんもりとした木立の森がある。 森斜面から川岸に球状巨岩が突き出し、その表面に都合三枡の双体仏と、背光五輪塔と墓碑が各1基。...

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平群町 信貴山石龕仏(せきがんぶつ)残欠:他

信貴山境内、開山堂への参道右手の小高い丘に立つ石仏。 一山、信仰の山として河内と大和の境に君臨、その歴史は古く聖徳太子の創建に依るものとされている。 石仏は丘の頂上に2体が並び立つ。 うち一体は高さ約1m、幅60cmの板石状花崗岩に阿弥陀坐像が刻まれている。 正面両側を柱状に残し、枘穴が設けられ、元は側石が組み合わされ、石龕仏の奥壁だと考えられて居る。...

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平群町 信貴山朝護孫子寺成福院十三仏石室

信貴山の石仏と言えば、なんと言ってもこれ・・・ 以前、もう7年以上前にも紹介した事のある山内塔頭「成福院」境内脇に置かれた十三仏石室。 今回再度訪れ撮影して来たので更新再UPです。 真正面からワイドで・・・ 向かって右側側壁を・・・  向かって左側壁を・・・・ 7年前と何も変わらなく健在でした。 詳細は前回のものを参考にしてください。 撮影2012.5.26

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平群町 信貴山妙蓮塚十三仏石室

  信貴山中興の祖「命蓮上人」の墓所と伝えられる上人塚に置かれた十三仏石室。 開山堂南西後方に命蓮塚があり、ここに命蓮上人が葬られている。 命蓮上人は、醍醐天皇の病気平癒の祈願をし、毘沙門天の加護により、天皇の病気を癒やした僧で・・・、このことにより「朝護孫子寺」の勅号を賜ったという。...

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平群町 信貴山妙蓮塚十三仏板碑

妙蓮塚守る様にずら〜と塚の周りに並び建てられた十三仏板碑群。  昨日も紹介した妙蓮塚は直径5m、高さ1.4mの円墳状をしており、表面には砂利が敷き詰められ、周囲を新しい石柵で六角形に囲んで居る。 その外柵内、土盛り裾に立掛けるように山形二条線の一石一仏板碑が周りを一回りめぐって土留の役も果たして居る。...

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平群町 信貴山不動石仏

三郷町方面から信貴山に登る県道236号線沿い、信貴山麓の出合いの辻にある不動明王石仏。    信貴山内集落の最東端、道路脇にこんもり茂った木立があり・・・・、 その木立を背負うように不動石仏が祀られて居る。 石仏は、高さ約80cm、幅広く鏨痕の残る舟形光背を背負った像高約60cmの不動明王立像。 像に巧さはなくアンバランスで力量の無さが窺えるが、その様式から室町後期の造立。...

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平群町信貴山 石当て地蔵

  地元では石当て地蔵と呼ばれる石仏さん。 信貴山大門に向かって左に登る山道があり、暫く進むとこの石仏に出逢う事が出来る。 多分地元の人でも普段は殆ど通る人とて無い細い山道・・・・ちょうどこの奥には山内塔頭の千手院墓があり、脇には小石仏や五輪塔の残欠なども並べられている。  石仏は自然石にそのまま長方形を彫り沈め、中にぎこちなく稚拙に見える定形の地蔵立像を肉厚に刻み出している。...

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平群町信貴山 千手院墓の石仏

信貴山内寺僧墓地?で見掛けた、ちょっと僕の目を惹きつける石仏さん。 先日の「石当て地蔵」の横を少し登ると、奥に塔頭「千手院」の小さな寺僧墓地がある。 ほどほど立派な五輪塔の横に、ほぼ正方形の板状花崗岩中央に目を惹く石仏が刻まれて居る。 板状石材は一辺が約55cm、その正面一杯に舟形を彫り窪め、中に像高約40cm強の蓮台に立つ阿弥陀如来立像を刻み出している。...

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平群町 信貴山大門の千体石仏

  信貴山大門手前、右手斜面に雛段基台を設けられずらりと並べられた石仏群。 現在の駐車場に車を置くとこの大門と呼ばれる仁王門は通らないが、一昔前の旅館土産物屋のある旧参道を歩いてくればこの大門にぶち当たる。  千体仏と呼ばれる石仏は新道建設の折、出土したものをここに集めたもので、その一体毎に赤い涎掛けがかけられて居る。...

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平群町 信貴山成福院墓の石仏

 先日紹介の千体石仏裏山にある信貴山塔頭「成福院寺僧墓」の石仏さん達。 信貴山大門を潜ると、右側に山手に登る石段が見え、その奥が成福院寺僧墓に成っているが、ちょうどその辺りから見ると信貴山朝護孫子寺毘沙門堂が真正面に見える。   上り口に有る大木の根元に中世仏だと思われる小石仏が4〜5体並べ置かれ、いい味を醸し出している。 向かって左端には、まん丸童顔の地蔵菩薩・・・・...

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京都府宇治田原町 奥山田の茅葺き民家

1年半ほど前、たまにしか降らない雪が少し残ったこの茅葺き屋根を撮影したが、伊賀方面からの帰り道、その後どうなっているのかと寄ってみた。 前回は枯野色の寒さ厳しい頃、今回は黄金の稲穂が出だしたまだ暑さの残る9月の中頃・・・ 当たり前の事だが、前回来た時よりも茅葺き屋根はやっぱり草臥れが進んでいた。 前のシート掛け屋根も前に見たまま・・・・やっと雨漏りを防いでいるだけ。...

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斑鳩町 極楽寺墓地地蔵石仏他

極楽寺墓地(ごくらくじぼち)は法隆寺裏、かっての極楽寺は廃寺となり、墓地にその名前を残すだけに成っているが、この地域の惣墓となり・・・・ 広大な丘は、石碑、石塔、墓石などで埋め尽くされ、一種壮観でさえ有る。   その広い墓地の西南端には木造瓦葺きの立派な地蔵堂が有り中に大きな地蔵石仏が祀られている。  地蔵石仏は高さ約2m、幅90cmの大きな舟形光背を負い、蓮華座に立つ像高172cmの定形地蔵。...

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斑鳩町 極楽寺墓地地蔵石仏2

先日に引き続き極楽寺墓地の石仏さん達 ・・・・。 広大な墓地の中世石仏だけでも一杯在り過ぎ、その全てを紹介出来る訳も無く、ちょっと僕の目を惹いたものだけピックアップ。 墓地の南入口を入って直ぐに目に付く舟形光背の定形地蔵石仏。 総高1.5m、像高105cm、落ち着いた慈悲深い尊顔で元亀4年(1573)の造立。...

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斑鳩町 極楽寺墓地阿弥陀石仏

極楽寺墓地、大きな個人墓地に置かれていた阿弥陀石仏。 自然石の基台に載り大きい二重蓮台に結跏趺坐。 堂々とした体躯の割には力強さに欠け、舟形光背にも幅が狭く頂部が鋭角に尖っている。 厚肉の彫りは深く、膝上で弥陀定印を組む。 サイドから見ると、どうも平板さが目立つ室町中期頃の造立でしょうか??...

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葛城市 當麻の茅葺き民家

葛城市當麻町、當麻寺近くの旧街道筋に残された旧「造り酒屋」の茅葺き民家。 古刹「當麻寺」の山門脇を右手に取り、古い集落を道成りに進んでいくと・・・ ちょうど道路が、くの字に曲がる曲がり角・・・・、高い腰板土塀を張り巡らした大きな大和棟の茅葺き屋根が見える。 屋敷裏側には造り酒屋当時の酒蔵を利用し、ステーショナリー&ギャラリー文晃堂として営業されて居る。...

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香芝市 鎌田の茅葺き民家

前回紹介の當麻とは直線距離にしてわずか2km足らず、良く似た大和棟の茅葺き民家です。 市街地とまでは言えないけれど、それなりの近郊地域の茅葺き民家は、やっぱりそれなりのステータスや財力の裏付けがある。 長屋門と白壁土蔵のこの民家は、奈良の地酒「金鼓」の「大倉本家」自宅兼事務所。 そう古くない長屋門には三輪の「しるしの杉玉」と、両脇には地酒 「金鼓」の薦被りが置かれている。...

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平群町鳴川 千光寺の石塔

ちょっと前に紹介の信貴山より尾根伝いに北へ約8km、竜田川の枝流、鳴川渓谷最奥に建つ「千光寺」の石塔。 千光寺は660年頃、役行者(役小角)が草堂を築き、白鳳12年(684)天武天皇の勅命により本堂が建立されたと言われる修験道の霊場。 境内には修験道行者が使う大きな金剛杖がモニュメントとして立っていた。 役行者が大峰山を開く前に修行していたことから「元山上」とも呼ばれる千光寺。...

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平群町鳴川 揺ぎ地蔵石仏、十三仏板碑 

前回紹介の千光寺への参道途中の鳴川集落中程にある「揺ぎ地蔵尊」と「十三仏板碑」。 鳴川渓谷の深い斜面にしがみつく様に鄙びた美しさを、そのまま残す鳴川集落。 その集落や、細くて険しい千光寺参道の風情には捨てがたいものが有り度々おとづれて居る。 集落の中程、在所道の辻に簡素な地蔵堂が有り、中に「ゆるぎ地蔵尊」と呼ばれる大型地蔵石仏と十三仏板碑が安置されて居る。...

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京都市 伏見区の茅葺き民家

京都市最南端、伏見区桃山の小高い台地に残されていた茅葺き民家。   この桃山台地は、かって豊臣秀吉が伏見桃山城を築城、当時なら庶民など近づくことさえも出来ない??と思われる古い呼び名の一画に残っていた。 付近は乃木神社や明治天皇陵にも近く由緒在る土地、いくら由緒正しき場所だとは言え、こんな市街地に茅葺き民家残って居るとは思いもしなかった。...

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