野洲市 木部の茅葺き民家
先日に同じ野洲市の木部集落で見掛けた茅葺き民家。 あの兵主大社より南へ約1km強、湖岸穀倉地帯の真っ只中に軒を連ねる旧い集落・・・・・そんな集落の東入口近く、三叉路辻の正面に茅葺き屋根が見える。 道路側に妻側を見せ、ブロック塀で目隠しをした一般農家風茅葺民家。 先日の五条集落の茅葺き屋根にウリ二つ、規模は少々小さいが入母屋造りで棧瓦の箱棟終い。...
View Article守山市 川田町の茅葺き民家
守山市の最東端、野洲川左岸に残された茅葺き民家。 先日紹介の野洲市から野洲川を西に越えれば守山市、ここもまた広大な田園地帯に小さな集落が散在する田舎町。 そんな国道151号線から茅葺き民家の屋根がすぐそこに見える。 少し前までは大きな屋敷を構えていたような佇まい・・・・現在周りは自家菜園と成っている。 茅葺き屋根はそのままに、下屋は大きく補修改装されアルミッシュがハマって居たり・・・...
View Article守山市 赤野井の茅葺き民家
同じく守山市、あの大庄屋諏訪家屋敷と同集落に建つ茅葺き民家。 この近くには「もりやま芦刈園」なる水辺公園もあり、その名称から往時はこの辺りが「葦切り場(茅場)」だったことが窺える。 葺き替え葦が足りなかったのか??まだ葺き替えて間もない妻側と正面大屋根の屋根色が少し違ってる。 この家では2シーズン掛けて一屋根葺き替えたのだろう・・・ 何処か斑に見えるのは旧い材料も再利用してるからなのか??...
View Article守山市 赤野井の茅葺き民家-2
昨日に引き続き守山市赤野井に残された茅葺き民家・・・・ 蓮如上人の赤野井西別院や、あの「大庄屋諏訪家屋敷」のある赤野井本体部とは、少し離れた水田地帯に軒を連ねる西地区??。 その集落の中程、重厚な門扉を閉ざす長屋門の奥に茅葺き屋根の妻側が少し覗いてる。 この方向からはとても全容を窺い知る事はできないがかなり大規模な屋敷だということは判る。 こちらから見る限りどうも特殊な屋根の形をしている。...
View Article甲賀市雲井 永仙寺の茅葺き鐘楼
夕焼け小焼けで日が暮れて山のお寺の鐘が鳴る・・・・の鐘は確かこんな茅葺き鐘楼に吊り下げられていた挿絵を見たような記憶が蘇る。 信楽から湖東方面に向かう国道307号線を走り、旧そうな在所だと集落内を走っていて目に付いた茅葺き鐘楼。 陶器の町、信楽中央部より約10分足らず、あの信楽高原鉄道雲井駅近くの永仙寺という寺に建っていた。...
View Article京田辺市 飯岡
僕の散歩コースの一つに成ってる飯岡の在所・・・・我が家から木津川を挟み左岸の少し上流に位置する。 正式には「飯岡」と書いて「いのおか」と呼ぶそうだが・・・・何が正式やら通称やら。 土地の人やら、周辺の者やらは「いのか」と呼び親しんでいた。 その土地の呼び名より、どこかの役人が付けた名称が正式名称とされる馬鹿らしさには呆れてしまうけど・・・・・...
View Article旧美杉村八知 長楽寺の石仏
津市美杉八知、長楽寺で見掛けたいたずら坊主の様な青面金剛の庚申さん。 長楽寺は、2009年台風18号災害により未だにバスでの代行輸送のJR名松線矢知駅を南西に約1km足らず、雲出川左岸の高台に有る曹洞宗の古刹。...
View Article天理市長滝町 地蔵寺の不動石仏
ちょっと物足りなさを感じる不動さん・・・・きっとそれは尊顔が憤怒相には成ってないからかも・・・・ 長滝町地蔵寺は天理市街東方の大和高原山中の小さな在所山寺・・・ 天理ダムを越す旧国道25号線から分岐して林道を約1km、山中の谷間に約30戸程の長滝集落が甍を並べる。 集落奥、高台に小さな境内を持ち、その片隅に寺墓がある。 寺墓の片隅にどうも不自然な不動石仏・・・・・...
View Article柳生坂下 阿弥陀磨崖仏
何度も何度も・・・・・この近くを通るたび、ついつい寄ってしまう棚田の畦の石仏さん。 <画像は新しいけど文は古いものも使っています。> もう何度この石仏に会いにきたことか、春先、桜のあと、真夏の炎天下・・・。 奈良坂の般若寺から柳生に向かうと、柳生の里ひとつ手前の集落が柳生坂原、大和高原入り口にある鄙びた風情の里山です。...
View Article奈良市坂原 北出橋畔「阿弥陀磨崖仏」
先日に同じく「柳生坂原」・・・・集落脇を流れる白砂川淵の大きな岩に刻まれた磨崖仏。 この石仏もその景観の良さと、石仏自身の素晴らしさから、近くを通るたびに何度も足を運んでいる。 集落の入り口に産直の販売所が在り、集落内に入る旧道をしばらく行くと、白砂川に架かる北出橋に差し掛かる。 北出橋の手前右側、白砂川越の岸壁にこの磨崖石仏が見えてくるが、案内板や標識はまったく無いので見逃しかねない。...
View Article京都府井手町 田村新田(有王新田)
我が山城にあっても知らない人の方が多いだろう??井手町の田村新田集落、・・・その数約10軒にも満たない。 それも、木津川市の飛び地に成ってる枝在所を含めての話。 ここは井手町中心、町役場から玉川沿いに山懐を縫い約6km、山を越えた隣町和束町から峠を越えて約8km、まったく地元車以外は走らない府道321号線(府道玉水~和束線)有王山懐に在る。...
View Article奈良市 誓多林道の笠石仏
人知れず、新道の切通道崖上に倒れ掛かるように佇む見事な笠石仏。 国道389号線大慈仙町から誓多林町へと向かう県道184号線、誓多林峠近く・・・・道路から見えず何の目印もなく辺りを自分の足と目で探す他はない。 多分旧道が石仏の前を通って居たのだろう・・・・ そんな場所にも、今でも信仰は続き「輪締め」に裏白を付けた松飾りが置かれていた。...
View Article桜井市 阿部文殊院古墳の不動石仏
桜井市、日本の黎明期の歴史に絡んだ旧い歴史の「阿部文殊院」の二つの古墳内に安置された二つの石仏さん。 <これはグーグルストリートビューの画像・・境内中を自由に散策できます>...
View Article旧加茂町 岩船寺箱石仏
岩船寺境内にある二体の地蔵箱石仏(笠石仏とも石龕仏とも言う) 岩船寺山門のちょうど左脇斜面に人知れず佇む地蔵石仏。 所謂、角取りをした枠を持つ箱石仏なのだが・・・・・ 深く彫り沈めた中央に蓮台に立つ地蔵菩薩を中肉彫りで刻み出して居ますが・・・本体に対して上に乗る笠石の大きさがアンバランス、多分、多層石塔の笠部を載せて転用して居る。...
View Article旧加茂町岩船 地蔵石龕仏
先日の岩船寺箱石仏によく似た地蔵石龕仏。 岩船集落の中程、西の谷を抜け観音寺跡へと向かう途中の分岐を左手に取るとこの笠石仏にブチ当たる。 昼でも鬱蒼とした竹藪ジャングル、夏場に行くと目も当てられないのでご用心・・・・まあそんな物好きは殆ど居ませんが??。 ここは往時、観音寺の塔跡であったと言われてる場所、なぜこの石仏達だけがこの場所に残されたのだろうか??...
View Article旧加茂町 西小墓地地蔵笠石仏
当尾の石仏の内昨日に引き続きもう一体の笠を落とした笠石仏を・・・・ ここは岩船寺近くではなく当尾西の入口近く・・・どちらかと言うと浄瑠璃寺に近い・・・浄瑠璃寺道筋。 道路脇に重文五輪塔で知られた西小墓地が有り、道路を挟んで板碑などと共にこの中型箱石仏が立っている。 箱石仏の上部には笠石を載せていた突起があり、脇にそれと思われる笠石や宝珠石が落ちている。...
View Article旧加茂町岩船 首なし地蔵
先日も紹介した南山城、旧加茂町当尾地区はまさに野仏の里、どこを歩いても野仏に出会うような・・・ 岩船寺裏、弥勒の辻から三体地蔵磨崖仏の前を通る裏参道への入口、大きなクヌギの根元に、首を無くした古石仏が佇んでいる。...
View Article旧加茂町当尾小学校前 宝珠寺地蔵石仏/他
当尾への東の登り口、宝珠寺境内に立つ地蔵石仏と五輪塔。 2012年3月廃校になった旧当尾小学校の向かい、郵便局東となりに小さい境内の宝珠寺があり、新しく造られた基壇に一列石造物が並べられて居る。 頭の丸い舟形光背を持つ定形地蔵石仏は像高約1m足らず。 新しい基壇の上、台石と石仏をコンクリートで固定しているのはちょっと艶消し・・・...
View Article上京区西町(下ノ森通) 金泉寺(こんせんじ)阿弥陀石仏
京都市街、北野天満宮の南、金泉寺(こんせんじ)に安置されている阿弥陀石仏。 詳しい場所は説明し難いのでグーグルストリートビューに譲りますが・・・・狭い道路脇に三ケ寺も並び建つ、京都独特の密集市街地。 そんな金泉寺正面脇、体部と蓮台が妙に不釣合いな石仏が安置されて居る。 明らかに体部と蓮台は造立年代が違う、蓮台には元禄の銘が有り、江戸時代後補された様です。...
View Article京都府和束町 安積親王の和束墓(再編集)
僕にとっては見慣れた風景・・・・僕の住まいからは、山を一つ越えたところ、相楽郡和束町の安積親王の和束墓。 つい最近だと思うが、稜のある茶畑の丘のふもとに新興住宅が立ってしまって以前の姿は見られなくなった。 それでも、お茶畑が小さな丘を登って頂上付近の陵墓をきわださせ、 山城らしい風景である。 陵墓へは、茶畑の作業用軽トラックが通行するための道路整備されているが、ふもとに車を置いて歩くのがよい。...
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