千本鞍馬口 引接寺(千本ゑんま堂)十重石塔
京都市街、「千本ゑんま堂」に建つ珍しい形の珍しい十重の塔。 多層石塔と言えば頭に浮かぶのは大抵十三重の塔なのに・・・ここのは十重の塔。 千本ゑんま堂は本尊に閻魔大王置き、平安朝京洛の中心道路である朱雀大路(現千本通)頭に位置する。 この辺りは、あの世へ通ずる処として亡きがらをここから送った事から精霊迎えの根本霊場として古来より有名。...
View Article桂地蔵寺の石仏
真新しい桂地蔵寺に残された石仏さん達・・・・・しかしこう言うふうにコンクリート漬けでは可哀想。 京都六地蔵は、「平安時代」都への六街道入口に祀られた・・・・その内ここは旧山陰街道桂川の西、桂六地蔵尊地蔵寺。 再建されて間もないのか?眩いくらいに新しく整備されすぎ、ちょっと風情には欠ける。...
View Article伏見 西岸寺油掛け地蔵尊
京都市内に二体有る油掛け地蔵の内、嵯峨の油掛け地蔵は、その実「阿弥陀如来石仏」伏見のこれは名実共に油掛け地蔵尊・・・・・。 グ-グルストリートビュー の画像からですが、あの坂本竜馬で名の知れ渡った「伏見寺田屋」のちょうど二筋裏・・・・・・、 マンションの高い建物に隠れる様に狭い境内の西岸寺ある。 昔、山崎の油商人がこの地蔵尊の門前で転び、油桶を落とし油を流してしまった。...
View Article大慈仙町の地蔵石仏
奈良柳生道(国道369)大慈仙町の旧大慈仙小学校跡(もしかして村役場跡かも)??だと思われる地に立つ石仏さん達。 国道369大慈仙交差で右折、県道184に入ると右手小高いところに跡地があり・・・・・ その脇に石造物が並べられて居る・・・・ここは往古、寺でも有ったのだろうか?? 並び立つ石造物の中に目立つ石仏が一体。 目立つと言っても総高1m余りの中型地蔵石仏。...
View Article甲賀市 「撥ね釣瓶」のある景色
滋賀県甲賀市の山間部、小さな集落の小さな山寺でたまたま見付けた「撥ね釣瓶」・・・。 こんなものに懐かしさを見出す僕は、息子に職場を明け渡したリタイヤ組の初老。 「ハネツルベ」など、もうきっと死語・・・・ツルベと言えば落語家紛いのTVタレント「鶴瓶さん」を思い起こすぐらいで・・・・「ツルベ」そのものも死語かも?? しかし僕が見たときは、ちゃんと井戸水を汲み上げて機能していた。...
View Article長岡京市 浄土谷の大日如来
京都西山山間部、柳谷観音道途上、山中に有る石仏さん。 長岡京市街から約15分、4.5km、柳谷道から分かれ、古刹「乗願寺」への道をしばらく行くと左手に、それと判る案内板が立っている。 竹藪道を100m程も歩けば、竹藪斜面に自然石と笠石を組み石龕を設け・・・ 中に智挙印を組む大日如来を安置している。 大日如来石仏は座高63cm、背部に光背面が有った痕跡がのこって居る。...
View Article長岡京市 弥勒谷十三仏
柳谷参詣道から、古刹「乗願寺」への岐れ道角に有る石仏。 道路際の岩斜面に弘法大師像を中央に置き、その背後に苔むした石仏を配している。 僕達が見慣れた十三仏は大抵一石に十三仏を纏め、種子か小さな像で3列4段に並べられてる物が多い・・・・・。 しかしここでは十三仏の一尊ごと、単尊の石仏として表されて居る。...
View Article大山崎町 宝積寺の九重石塔/他
今にも倒れて来そうな程、弓なりに建つ九重の石塔。 天下分け目の天王山、その中腹建つ宝寺(たからでら)と呼ばれている真言宗智山派寺院。 <宝積寺三重塔(重要文化財、桃山時代 慶長九年 1604年建立、本瓦葺、高さ19.5m> 山崎の合戦の折には羽柴秀吉が一時この寺を陣所とし、山崎の合戦で亡くなった人を弔うため一夜で建立したという「秀吉一夜の塔」は良く知られている。...
View Article大山崎町 山伏塚の大日さん
一見、大日如来なのか?阿弥陀如来なのか?判然としない古石仏・・・・・大日にも阿弥陀にも見える。 阪急京都線「西山天王山」駅を線路沿いに約500m程大阪寄りに行くと、田畑の中にこんもりとした緑の杜が有り・・・・・ 中に簡素な横長の覆い屋が有り、大小二体の石仏が祀られて居る。 見たところ、大日如来の宝冠なのか?阿弥陀如来の肉髻が大きく盛り上がって居るのか...
View Article長岡京市 長法寺の石塔
長岡京市、西山麓の天台宗長法寺に建つ二基の石塔。 長法寺は、寺伝によれば、七堂伽藍も整い十二坊もある洛西での大寺だったが、応仁の乱で悉く焼失したといわれている。 境内脇の真新しい洒落た庫裡を背に、切石枠に玉砂利を敷き詰めた基壇の上に古風な三重の石塔と宝筐印塔が並び建って居る。 宝篋印塔は、南北朝時代前期頃、高さ1,72mの花崗岩製・・・・...
View Article長岡京市 海印寺寂照院の地蔵石仏
長岡京市奥海印寺の寂照院と言う寺に残された中型の箱石仏。 あの長岡天満宮前の信号より車で約5分、奥海印寺通りを西山方向に1.5km、奥海印寺の走田神社を背に負う様に近代的建築物の海印寺寂照院が建って居る。 新興住宅街に囲まれた山門を入ると真新しい寺墓があり、その入口と思しき辺りに簡素な堂を設け、石仏が安置されて居る。...
View Article長岡京市 神足墓地石仏群
長岡京市、神足墓地の大きな丸彫り石仏群。 JR長岡京市と阪急長岡天神駅に挟まれた神足小学校脇の広大な惣墓、その入口辺りに、ほぼ等身大坐像の石仏が並び立つ姿は、他で目にすることがなく圧巻・・ 墓地入口右手には新しく造られた現代風基台の上に六体地蔵としては珍しい坐像石仏が横一列に並んでる。...
View Article太子町 叡福寺結界石/地蔵石仏
結界石と呼ばれる太子廟を取り巻く様に立ち尽くす板碑列 太子町「叡福寺」は言わずと知れた聖徳太子ゆかりの地・・・・ 聖徳太子一族(生母穴穂部間人皇后、太子夫人膳部大郎女と本人)が眠る三骨一廟の太子廟があることで広く知られて居る。 聖徳太子磯長廟として祀り聖徳太子らの墓所とされる叡福寺北古墳は、宮内庁により皇族の陵墓(磯長墓)に指定され・・・...
View Article太子町 叡福寺の層塔
聖徳太子ゆかりの叡福寺には、他ではあまり見れない様な古石塔が二塔もある。 「上の太子」と呼ばれ、聖徳太子御廟所としてよく知られているが、天正2年(1574年)の兵火で大きな被害を受け、古代の建物は残っていない。 その後、慶長年間(17世紀初め)、後陽成天皇の勅願により豊臣秀頼が伽藍を再興した。 二つある古式な豊かな多層石塔の内、叡福寺墓地にあるこの塔にはゆるぎ無い存在感がある。...
View Article太子町 泥掛け地蔵/隔夜堂阿弥陀石仏
太子町、叡福寺近くの石仏を二体ほど・・・ 叡福寺前の府道を西へ約1km、道成りに進むと大井川橋を越え、次の点滅信号の左手に立派な地蔵堂が建っている。 堂内はコンクリートの打ち放しで開放感のある造り、供台を設け飾り窓越しに拝む様に成っている。 しかし板1枚挟んで奥もオープンスペースに成っており、自由に石仏と真近に対面できる。 高さ1.4m、頭の丸い舟形光背を背負い、蓮華座の上に立つ定形地蔵立像・・...
View Article太子町 大道の阿弥陀石仏
竹之内街道、大道集落の斜面に残された阿弥陀石仏。 古代、官道として整備され、聖徳太子も飛鳥への道を急いだろう・・・・竹之内街道。 古道の歴史に想いを募らせ、景観を愛で歩く人は多いが・・・・・・・ 頭上高くにあるこんな石仏に目を留める人など皆無・・・・・まぁー知っていなきゃ見えません 石仏は概ね1m足らずの花崗岩自然石に舟形光背を彫り沈め中に弥陀定印の阿弥陀如来坐像を薄肉彫りで刻み出す。...
View Article太子町 竹之内街道の地蔵石仏
竹之内街道を急ぐ人達を優しく見守る様にと建てられたで有ろう地蔵石仏。 ちょうど古道竹之内街道を太子町方面から登って来ると・・・・・・ 「二上山万葉の森脇」を通って新竹之内街道(国道166)に出会う付近に建っている。 石仏は大きく等身大、花崗岩自然石に補足尖った舟形光背を深く彫り沈め、中に蓮華座に立つ定形地蔵立像を中肉彫りで刻み出して居る。...
View Article葛城市 当麻北墓の五輪塔
当麻北墓に誰が見ようが古式の五輪塔が建っている。 当麻北墓は當麻寺の山門を右折、古い在所道を道成に10分も歩くと、旧「造り酒屋」の茅葺き民家が有り・・・・ その裏手に当たる処にこの地域の広大な惣墓があり、一画に見慣れぬ棗型の水輪を持つ五輪塔が、異彩を放って建って居る。 高さ2.4m、四門梵字は位置が移動しているものの雄渾な薬研彫りで刻まれ・・・...
View Article葛城市 当麻北墓の石塔
昨日に引き続き、当麻北墓に建つ石塔を二基。 古道在所道脇に建つ地蔵堂の裏、墓地参道脇に最近整備された基壇の上に・・・・・ 中将姫の墓と書かれた石碑が建ち、三重層塔と十三重石塔が並び建っている。 もとより造立年代と中将姫との時代が全く合わないので後の世に墓塔とされたものだろうが???...
View Article大津市 坂本の石仏
大津市坂本、西教寺近くの道端に祀られて居る阿弥陀石仏??。 あの日吉大社のすぐ近く、西教寺の門前を東に過ぎると小さな谷川橋を渡った右手に小石仏や五輪の残欠などを集めた集積が有る。 地元では、なんと呼ぶのか?ネットを探しまくってもなんの情報もなく、名無しの権兵衛・・・・ その中央に一体だけ明らか群を抜く一回り大きな如来型石仏が有る。...
View Article